ジョグジャカルタの下水処理場へ 訪問レポート Part1
インドネシアの水環境を知る上で、各家庭の下水の行き先、ホテルやレストランの排水事情、下水管ネットワーク、下水処理場の運転状況など、明らかにしなければならない事柄が多くあります。
今回は、以前から計画していたジョグジャカルタ特別州のバントゥール県セウォン郡に位置する、セウォン下水処理場に訪問をしてきました。
郡:Kecematan Sewon, 県:Kabupaten Bantul, 州:Daelah Istimewa Yogyakarta , 下水処理場: Instarasi Pengolahan Air Limbah Sewon 通称: IPAL Sewon
訪問にあたって以下の訪問レポートを参考に準備を行いました。→ Makalah IPAL Sewon, Bantul, Yogyakarta - Documents
今回の訪問レポートはインドネシア語の記事、下水処理場のパンフレット、現地で得た情報をもとにご紹介いたします。
処理池をバックに記念写真
訪問の目的
・ジョグジャカルタ特別州の下水処理状況を知る
・処理方法を知る
・排水網の範囲、貢献度を知る
・現在の制約、問題があるかどうか
日本政府からの貢献
実はこの下水処理場、そしてジョグジャカルタ(以下ジョグジャ)の下水道事情には、日本との強い関係性があります。
ジョグジャでは、1936年から約110kmにわたって排水網が建設されました。しかしながら、排水はまだ直接河川に捨てられているため、問題の解決には至りません。そこで、1994年〜1996年に用地面積6.7Haの排水処理施設が建設されました。その時に、日本政府からJICAを通して30億7800万円の無償援助※を受けて、1996年1月から運転を開始することができました。
処理対象は家庭排水(浴室、洗濯、トイレ、台所排水)でその他の産業施設は、自分たちで排水処理を行い、排水基準であるBOD 50mg/L以下※※にした上で放流する義務があります。
※日本政府の公文書によると、建設費用、機材及び据付け、輸送費や人件費で合計590億インドネシアルピア(H5年〜H7年のレートを見ても金額に整合性が取れます)の寄付が行われました。
※※ BOD (Biochemical Oxygen Demand: 生物化学的酸素要求量) 水の汚れの尺度
排水処理、下水道網の受給範囲
ジョグジャカルタ特別州は5つの県からなります。セウォン下水処理場では、そのうちジョクジャカルタ市、バントゥール県(3郡)、スレマン県(5郡)が運営とサービス受給に関わっています。中心地から離れている土地や、土地が低い場所では排水の運搬が行えないため、ジョグジャカルタ特別州全体を見ると普及率は3.5%ほどにしかなりません。
下水道が通っていない場所は、地域ごとの排水処理施設がある場所もありますが、ほとんどはセプティックタンク(維持管理のできていないものがほとんど)のため、ほぼ未処理のまま、河川に放流されているか地下浸透されているかのどちらかです。
新しい情報としては、2016年11月の時点の接続家屋数は20,101戸になったようです。そのうちの8割ほどはジョグジャカルタ市からの家屋です。下水処理場に許容量はあるものの毎年1,000戸を目標に接続家屋数を増やしているとのことです。
その進捗として、2012年に14,329戸だった接続家屋数が2016年11月には約6000戸も増加しています。
ジョグジャの下水網 緑の太線が下水の主管、緑の点線が家屋に通じやすいように建設された下水管、赤い線は今後の建設予定のパイプ
次回はより詳細な排水処理の部分を見ていきます。
中央ジャワ 排水処理施設メンテナンスへの同行
9月下旬にインターンの内容の一環で出張への同行をさせていただきました。
プカロンガン県 Google マップ
テガール県はジョグジャカルタのPUSTEKLIMのオフィスから250kmほど離れており、プカロンガンはその道のりにあります。かなり遠い出張となりました💦
今回はメンテナンスの様子の一部をお伝えしたいと思います。
1か月電気が止まっていた状態でしたが、
排水処理装置の電気系統は異常なし
一ヶ月ほど運転が行えていなかったため草がチェーンの方まで伸びてきている。経年劣化によってチェーンが伸びてしまっている様子。
盗難防止用の鉄柵を外した後に、据え付けたモーターを一旦外し、チェーンがたるまないように位置の調整を行いました。
この他にも3件のメンテナンスと状況の確認を行いましたが、住民のメンテナンスが不十分であったり、本来ならば連続運転が好ましいのですが節電のため回転円板が4日ほど止められていたりという不備が目立ちました。
メンテナンスののちに、PUSTEKLIMのスタッフが住民へメンテナンスに関する指導を行い、故障が起こる前に定期的にメンテナンスを行い、連続運転を図るようにお願いをしました。
これからも住民たちでの完全な持続運転ができるように、定期的に運転管理のメンテナンス、指導を行っていきます。
インドネシアの10月2日はバティックの日
インドネシアの10月2日はバティックの日!!
2009年10月2日にインドネシアの伝統工芸品として、バティックがユネスコの無形文化遺産に認定されました。それを受けて、インドネシアでは10月2日をバティックの日に制定されました。
バティック(Batik)とは?
東南アジア産の臈纈 (ろうけつ) 染の布。現在日本でバティックという場合には,インドネシア産のものをさし,一般にはジャワ更紗といわれている。現在のインドネシアのバティックには,伝統的なデザインと植物性染料を用いて製作されたもののほか,外国からの影響を受けたデザイン,輸入化学染料を用いた多彩なものもある。
ブリタニカ国際大百科辞典より引用
バティックといえば、中央ジャワのソロやジョグジャカルタがとても有名です。それぞれの地方によって柄が異なるので国内でも旅行先のバティックを探すのも楽しみの一つになるかもしれません。
バティックの作成方法の種類
ろうを使って布を染め分けるという技法が使われています。
バティック トゥリス(Batik tulis)という手書きのバティックが一番本格的で高価なものです。Tulisとはインドネシア語で書くという意味で、時間をかけた丁寧な手書きを意味します。
一方で、お手軽なスタンプ バティックやプリント バティックも作成されていてやすいものでは400円程度から数千円と手に入りやすい値段で売られています。手書きのバティックの場合は数万円から始まるほど高価なものが多いです。
⇧著者のバティックコレクション、インドネシアにおいては仕事や行事などでもフォーマルなものとして着れて便利です。
Happy batik day in all Indonesia! Sampai jumpa! 🙌
イスラム教のお祭り 犠牲祭当日
本日はついに犠牲祭当日です。
行事はジョグジャカルタの一番大きな大学で行われるとのことでしたが、実施日が違うらしく、インドネシア人の友達の家の近くのモスクの行事に参加させてもらうことになりました。犠牲祭は4日間にわたり開催されるとのことです。
朝9時ごろに友人の案内でモスクに行く
すると既に人が大勢集まっていてモスクの裏の広場では、牛や羊、山羊の屠殺(とさつ)が始まっていました。初めに見たのは牛の屠殺で、正直なところかわいそうに思えました。
写真:屠殺の前に牛が暴れないように縛り付けられている様子
大人も子どもも食い入るようにその一部始終を見ていました。
写真:少しわかりにくいですがフェンスの外側の濃い赤色の服を着た男性がマイクを持って、屠殺中にお祈りの言葉を捧げています。
モスクや犠牲祭を案内してもらう
行事を見ていると近所のおじいさんに日本語で話しかけられ、犠牲祭やおじいさんについての話をしていました。彼は1994年ごろ、ちょうど僕が生まれた頃に日本に10ヵ月間来て、工業高校で日本の技術を学んで帰ったのだそうです。インドネシアに帰った後すぐに阪神淡路大震災が起こりショックを受けたと話していました。
今日はそのおじいさんがモスクを案内してくれ、僕たちにおやつを出してくれたり、ご飯に誘ったりしてくれました。
肉を捌いたり、分配をする様子
この場所では、牛や羊、山羊を捌いて分配をします。屠殺の横では内臓をきれいにして食べれる部分とそうでない部分を分け、後ろでは肉をさばいてご飯の準備をしています。見た目はまさに市場のような感じでした。
ご飯に招待していただく
友人の家で休んでいたところ、先ほどのおじいさんにお昼ご飯に誘っていただきました。写真はちょうど、彼が「おかずはこのお皿、ご飯はここから好きなだけ取っていいよ」と言ってくれている場面です。いきなり外から来た人に対しても色々と優しくしてくれる、彼らの寛容さや優しさに触れることになります。
牛、羊、山羊はそれぞれ人間何人分の犠牲になるのか?
彼らに聴いたところムスリムの行事である犠牲祭の中では、牛は7人のため、羊とヤギは一人分と考えられています。
これは各動物一人当たりの人間に必要な動物の犠牲の数です。牛は25000円ぐらい、ヤギも羊も20000円ぐらいなので牛を一頭買う方がコストパフォーマンスが良いわけですね。これは単に牛の体が大きいため、羊や山羊のそれだけの分に相当するという意味だと思われます。
もちろん肉は所有者や参加者で分け合うので、羊1頭を一人で食べてしまうというわけではありません。
今回の行事では、動物の屠殺から解体、食事まで参加させていただき、改めて動物の命の重さを身近に感じることができました。
イスラム教のお祭り 犠牲祭とは? [前日編]
[ 犠牲祭の前日編 ]
こんばんは!いよいよ、犠牲祭※の前夜となり近所のモスクでもお祈りの声が聞こえてきています。バイクや軽トラの荷台にスピーカーを乗せ、お祈りの周知の声に合わせて太鼓を鳴らす、もう一台は空気砲を鳴らすといういつもとは違った珍しい雰囲気です。
※犠牲祭とはイスラム教徒が唯一神アッラーへの信仰を示し、動物への感謝を行う重要な行事の中の一つです。(↓詳しい内容は過去記事にてまとめました。)
モスクでの犠牲祭のイベントを行う告知
行事の前夜のことですが、たまたまムスリムの友人に夕飯を誘われて久々に会うことになりました。他愛もない話をしながらも明日の行事についての話※ を聞ける機会があったので、その中で特に新しく知った点についてご紹介します。(※一般的な考えや習慣ではあっても、必ずしも全てのムスリムに通じるものとは限りません。)
犠牲祭の前日は断食を行う
ムスリムは犠牲祭の前日には断食を行います。これはラマダン月の習慣と似ていますが、神聖な儀式の前に欲を捨てて体を清めるという意味があります。
断食は日の出から日の入りまで行われ、断食期間中は怒ったり、喫煙したり、世俗的な欲を持つことを基本的に禁止することを義務としていますが、健康のリスクや旅行中など特別なリスクを持つものは、行わなくても良いとされています。
ここからは完全に個人による話ですが、やむを得ない事情によりできなかった断食は日を振り替えたり、モスクによってお金を寄付したり、そのままスキップするという手がありますが、ほとんどの方は何かしらの方法で補填を行っているようです。
犠牲祭当日は断食は許されない?
こちらも犠牲祭前日の断食同様に初めて聞いた話ですが、犠牲祭当日の断食は絶対にダメだそうです。モスクなどで牛、羊、山羊、(インドではなんとラクダも)が犠牲にされたのち、捌かれてその場で串焼きにされたのち、貧乏で普段十分に食べられていない人や、イベントの手伝いをしてくれた人に対して施しとして賄いが受けられます。
このように動物の命をいただくということから、食べ物に感謝すべき日に断食をすることは良くないというような意味合いがもたれることが考えられます。
以上、犠牲祭の前日編でした!
あとがき・・・いつもは多い記事でも500いかないぐらいですが、以前の記事は1500アクセスほどいただきました。最近はインドネシア語での情報収集が簡単になってきましたので、現地でしか得られないような面白い情報があれば、また更新していきたいと思います。
イスラム教のお祭り 犠牲祭とは?[9/12/2016]
インドネシアでは2016年9月12日は国民の休日、犠牲祭です。
まず、イスラム教には二つの 'イード'(大祭) があります。一つは断食明けのお祭り、もう一つは犠牲祭です。7月には断食明け大祭(Idu l-Fitr: イド・アル=フィトル)があり、インドネシアでは日本で言うところのお盆のような長めの休暇がありました。また、9月12日には犠牲祭(Idu l-Adha: イド・アル=アドハ)により国民の休日となります。
昨年の2015年の犠牲祭の頃、僕は学会でマレーシアに行っており、学会後の観光の予定が国民の休日で博物館などが全て閉まってしまうという目に遭いました。その頃は、犠牲祭って何が犠牲になるの?という程度の疑問でした。
創世記に由来する重要なお祭り(儀式)
犠牲祭の起源は遥か昔、旧約聖書の創世記のお話にあたります。
神様を熱心に信じているアブラハムとサラという老夫婦がおり、信じ続けた結果、高齢にして子どもを授かることができ、その子どもはイサクと名付けられました。ある時、アブラハムは神に試練を与えられ、山でイサクを自分のいけにえにするように言われました。頂上に着き、アブラハムがイサクに対してナイフを振りかざしたところで天使に「その子を殺してはならない!そこの子羊を代わりにいけにえにしなさい。」と言われ、イサクは助かり、子羊が犠牲になってアブラハムらの信仰が示されました。(創世記 15:1-6, 21:1-7, 22:1-19)
もちろんこれはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教に通じる話ではありますが、'犠牲祭' という習慣に限ってはイスラム教徒特有のお祭りです。
こちらは、犠牲祭の様子が描かれた記事です。
衝撃!! イスラム教の犠牲祭イード・ウル・アザー | インド大好き!ティラキタブロ グインド大好き!ティラキタブロ グ
信仰を示し、命に感謝をするための犠牲祭
上記のコーランと創世記のお話から、信仰を示すため、命をいただくことへの感謝の儀式として今でも羊や牛、ヤギを生贄にするという習慣が残っています。
外から見れば、かなり残酷で怖い儀式のようにマイナスイメージに取られてしまうこともあるでしょうが、上記のような神聖な意味と子どもたちにとっての食育効果もあるようです。
ジョグジャの様子
ジョグジャでも犠牲祭のために山羊(Kambing)、羊(Domba)、牛(Sapi)が売られており、下の写真のように空き地を利用して牧場が出張しています。
商人のお兄さんに聞いた所、大きさや質にもよるけど山羊は3juta〜4juta(日本円で25,000〜35,000円ぐらい)とのことです。これは食べるために売っているの?と聞くと、なんでそんなこと聞くの?という不思議そうな顔をされました。
Evaお兄さんのヤギ市場
今回は道端でヤギを見かけたことをきっかけにピンときて記事を書きましたが、自分の勉強にもなりました。自分で犠牲祭を見る勇気はありませんが、また友達から様子を聞いてみようと思います。
それではまた!
APEXスタディーツアーを終えて
*特定非営利活動法人APEX (Asian People's Exchange)
僕がAPEXのスタディツアーに初めて参加したのがちょうど2年前の夏頃で、フローレス島、バリ島、ジョグジャカルタでの密な体験を今でも鮮明に覚えています。今回は、インターン生としてジョグジャで参加者を迎えることになるとは想像していませんでした。
ジョグジャカルタ1日目 〜排水処理事業〜
ジョグジャカルタでは、現地の適正技術排水処理技術センター ( PUSTEKLIM ) とディアン・デサ財団 ( Yayasan Dian Desa ) の事務所訪問や排水処理プロジェクトの様子を見学しました。
PUSTEKLIMにて排水処理事業の全体の説明を行ったのち、実際に排水処理設備の導入されている村に訪れて見学をしました。
1件目のクリチャック村では、施設を管理していただいている方に普段の維持管理の内容や導入後の衛生環境の改善の様子などを話していただきました。 また、各村では各家庭から維持管理費用を集金しており住民たちで負担を相談し合いながら、現在に至るまで運用を持続的に行っています。
クリチャック・キドゥール地区にて参加者と村の排水処理施設管理者との質疑応答の様子
カラングワル村においても担当者の方から熱の入った説明をしていただきました。処理を終えた後の水が溜められている水槽には鯉が飼われており、村 の排水を再利用できることとMCK(水浴、洗濯、トイレを行える水場)の管理費用が安いということを強調してお話をいただきました。
カラングワル村にて排水処理設備の説明を受ける参加者
排水処理設備の見学が終わった後、スクナン村へと移動します。
スクナン村はゴミの再生利用、コンポストの作成、エコツーリズムを行なっている現地でも有名な村で海外からの視察もよく来られるそうです。
こちらでは、スクナン村でのプロジェクト説明を終えた後、村で食事をいただき、インドネシアの伝統音楽のガムラン演奏体験やホームステイを行いました。
ガムランの演奏体験が終わり集合写真! 3曲もひけるようになりました!
スクナン村での朝食とプラスチックごみからの小物作り体験を終えたのち、PUSTEKLIMへと向かいます。2日目は主にバイオマス事業についての説明、モデルプラントの見学を行いました。
APEX代表の田中によるバイオマスガス化事業についての説明の様子
お昼休憩の時間にも事業や技術に関する活発な質疑応答がありました。
バイオマスガス化事業、コールドモデルについての説明
実証実験に向けての準備を行っている最中です。午後からは、事務所から北に位置するモデルプラントの見学やディアン・デサ財団の訪問などを行いまし た。終わりには、ディアン・デサ財団のリーダーのアントンさんと、スタディツアーを終えて感じたことなどを共有したり、議論する場が設けられました。
APEXスタディーツアーを終えて、参加者の皆さんがジョグジャにて有意義な時間を過ごされたようでホッとしています。参加者の一人に一番ジョグジャで思い出に残ったことは?と尋ねると、ガムランの演奏体験がとても楽しく印象に残ったと答えていただきました。
スタディツアー中に、大雨や渋滞に遭ってしまったものの概ね予定どおりにトラブルもなく、無事終えることができました。2年前の参加者としての立場と現地で案内する側の立場の両方を体験できたのは自分自身の成長にも繋がることだと感じています。
インターン 大野